大阪市立中央図書館で借りた「大阪市従50年史」に、スーツ貸与の経緯が掲載されていました。紹介します。
参考文献:大阪市従50年史(p.53-54)

 大阪市においては、戦前から現業職員にたいして職務遂行上に必要な被服について被服貸与規定に基づいて貸与されていた。しかし、貸与は戦争中に中止され、1944年制定の臨時被服手当支給規則に基づいたわずかな被服手当が支給されているだけであった。
 (中略)
 さらに下水道のマンホールを盗む泥棒を警戒していた現業員が、一般の人と同じ服装だったため、泥棒と間違えられて警察に検挙されるという事件も発生した。
 これらの事情から第8回定期大会以後、この課題に本腰を入れて取り組むことになった市従は、53年度予算編成の時期に合わせて、「もはや被服貸与規定の復活を阻害する一切の条件は除去されている」として規定復活を強力に申し入れた。
 この市従の申し入れにたいして市側は、「一挙にすべての被服の支給は困難であるが漸進的に現物支給に変えていく」との回答を提示した。これを受けて市従は、執行部のなかに小委員会を設置し、具体的な被服支給の基準を、組合案を示して交渉を展開した。連日の交渉の結果、市側は53年3月6日に至り、
1.被服上下、布地(ヨードサージ、濃紺職)
2.カッターシャツ一枚、布地(カツラギ、国防色)
支給を回答した。
 これにたいして、市従は作業衣、ゲートル、外套の必要性を強く主張したが、結論は出なかった。そのため、これ以上の遅延は時期的に見て不可能と判断し、布地を倉敷ビニロンに変更させ、女性にもカッターシャツの支給を認めさせ、さらに被服サイズの種類を従来の4種類から12種類に拡大させてひとまず妥結した。その結果、被服手当の支給は53年4月より停止された。
 その後、被服貸与規定の制度化を目指して毎年交渉を展開、外套の必要性および制服と作業服の二本立てについて市側が難色を示したが1957年6月、被服制度実施要綱が策定され、被服問題の解決をみた。

50年近く制服・作業服・スーツ支給の制度が続いたというのが驚きです。しかも最初は「被服貸与規定の復活」を目的としていた労組が、いつの間にやら「支給」を市に要求しているのが不思議です。厚顔も今のことではなさそうですね。せっかく貰ったスーツなのだから職員には着て欲しいものです。「泥棒」と「一般人」が区別できなくなるじゃないですかw